2022年8月11日(木)
広島[6-3]ヤクルト(マツダスタジアム)
なんだろうなぁ。やっぱり負けに不思議の負けはないよなぁ、というのが正直な感想だった。
失投は吸い込まれるように中に入り、4番だけどホームランバーターというよりはアベレージヒッターに強振され、完璧なホームランになった。3ボール0ストライクって「待て」でもおかしくはないのに。ランナーは2人もいた。
野球というゲームは相手よりも1点でも多く取れば勝ちになる。0点に抑えることができれば負けはなくなる。バカスカ打てなくたって、守りきれば、というのは理想論。実際には1点のリードを守り切ることなんてそうやすやすとできるものではないし、ましてや相手を0点に抑えることなんて──。
1点差に追い上げて、さぁこれからというところでは守備の乱れで2点を多く失った。ふだんならありえないようなミス。守備に不慣れな外国人選手ならいざ知らず、新進気鋭の若手遊撃手が犯したぽろり。え、ここで出ちゃうの、それが。
うまくいっていないときはこういうことが続く。
昔の人はいった。
弱り目に祟り目あるいは泣きっ面に蜂
野球界の格言ではなくことわざになっているくらいだから、世の中の至るところで同じような現象が起きているのだろう。こうして書いている今この瞬間にだってどこかで。いつしか流行ったマーフィーの法則なんかよりもっと古くから言われているのだからそりゃあね、と。
一方でこんな言葉もある。
人間万事塞翁が馬
よくないことが起こっても実はそれがよかったりすること、人生では結構ある。電車に乗り遅れたおかげで、事故に遭わなかったりとか。
打たれたからこそ、ミスをしたからこそ、気づくなにかがあれば、1試合単位ではよくないけれども、1年、あるいは複数年でみたら実はよかった、なんてことになっているかもしれない。
とはいえ来年や再来年に気がついてもちょっと遅い。今年中、願わくば次の試合で「実はあれがきっかけで──」といったコメントを聞きたいものである。
ところで塞翁が”馬”、か。なんだか活躍しそうな選手が思い浮かぶな。この試合でミスをしたわけでもないけれどもね。
試合結果:https://www.yakult-swallows.co.jp/game/result/2021006072
※ヤクルト公式HPより