行き着く先は野球のこと

12月は平穏だ。世間は師走らしく忙(せわ)しなく動いているようにも感じるけれど、ぼく自身は1年で一番時間にゆとりがある。なぜなら──世界各地で行われているウインターリーグはさておき──野球の試合が基本的にはないからだ。

もちろん日米ともにストーブリーグは繰り広げられており、天文学的な金額で大谷翔平や山本由伸が契約を勝ち取っている事実はある。が、追わなくてはいけないできごとの数はシーズン中と比べればたいしたことはない。

天から与えられたといってもいい12月の時間を有意義に、それも今後の人生に実りのあるようにしようと画策する。野球以外のことに取り組むぞ、と。毎年恒例だ。

でも、実際問題そうはいかない。結局は野球のことを考え、考え、考えてしまうのである。こうやって文章を書こうと思ってもやはり行き着く先は野球なのだ。こんなことでいいのだろうか、いや、いい。

この時期に考えるのは来年(シーズン)の方針のこと。今年(シーズン)は、7年間も続いていた神宮球場での全試合観戦を止めてテレビやインターネット配信での観戦をメインにした。都合500試合位を映像で見ることによって、世の中に多いであろう、いや大多数の野球ファンの気持ちを少しは理解できた気がする。現地と映像、こんなにも違うのか、と。まったく別物だった。1ヶ月前にそのようなことを書いた。

年間約500試合を【映像で】見て気がついたこと

さて、来年だ。ぼんやりと浮かんでいることはある。

もう少しMLBに軸足を置き──ヤクルト戦は現地もしくは映像で全試合リアルタイムで見るのは大前提──幅を広げようか。なんならドジャース戦をリアルタイムで全試合追いかけるくらいのことをやってもいいかもしれない。

ハイライトだけ、ボックススコアだけ、ニュースを読むだけでももちろんいいのだけれども、やっぱり試合を追いかけないと野球中心の生活にしている意味がない。見ること、観ることを大事にしたい。

そして、もう少し文字にしてどこか(ここ)に書き残すこと(今年は敢えて書かなかった)。試合の戦評や戦力云々、移籍話とかでは”ない”もの。そういうのは詳しい人が書けばいいし、他の人が書いてることをぼくが書いても何の意味もないしおもしろくもない。

こんなことを考えながら、ビッグデータベースボールやアストロボールを再読しつつ、ドジャースの歴史を振り返り、さらに野茂英雄のいた1995年をおさらいしている。

12月はやっぱり平穏だ。