宮本丈に感じる秒の積み重ねの大切さ | ヤクルトが好き

宮本丈

2021年9月30日(木)
ヤクルト[6-7]DeNA(神宮)

秒で終わった。

同点で迎えた7回2死無走者の場面。ネクストバターズサークルで準備していた川端慎吾はベンチへ戻り、聞き慣れた音楽に乗って背番号39が歩みを進める。

登場曲である「Battle Scars」(Lupe Fiasco)は、正直よく聞き取れない。日本語でないことくらいはわかる。それ以上でもそれ以下でもない。

Spotifyも「この歌詞はまだ曲に合わせてタイミングよく表示されません。」と出てくるほど。ぼくなんかが聞き取れるわけはなかった。

塩見泰隆の「ファンファーレ」のように盛り上がることはなく、サイスニードのような牧歌的な曲ともちがう。中村悠平のように流行りの歌をふんだんに織り込んでくるわけでもない。

もっというと宮本は代打の切り札でもおかしくない成績を残しているけれども、切り札ではなく神様として崇められるわけではない。

それでもこのメロディーを聞くと、「あ、来たな」と思うのである。無意識に襟を正し、背筋は伸びる。応援ボードやタオルを掲げることはしない。心のなかで祈る。ただそれだけ。少しでも長くフィールドにいてほしい。そんな願いを込めている。

そんな願いは散った。伊勢大夢の投じた初球を打ち損じ、三塁へのファールフライ。惜しくもなんともない。大きく改善した選球眼を披露することも、シュアなバッティングも見ることができなかった。

イニングが終わり無情にも流れる選手交代のアナウンス。同点の8回に山田哲人(二塁)を下げるわけもなく、サンタナ(右翼)の代わりは渡邉大樹がコールされた。

レギュラーではない選手を推すということは精神との戦いになる。一軍にいるならばベンチ枠からはじまり、その後はスタメンを賭け、そして代打、代走、守備固め、それぞれの役割をチームメートと争っている。たくさんのほんとにたくさんの争い、壁、ハードルがある。試合で見ることができるかどうかは状況しだい。

チームメートとの争いに勝っても試合で相手チームとの戦いに勝たなければ、つまり結果を残すことができなければ、秋には厳しい宣告を受けることだって覚悟しなければならない。

プロ野球選手として戦える時間は長くても20年。それは一部のレジェンドだけ。平均では7年〜8年だ。宮本は今年4年目。来年は折返しを超え後半戦に入る。

いろいろなことを考えるけれども行き着くのは「この日見た秒の積み重ねが分になり、時間になって思い出になる」ということ。見られるときに見られるだけ見よう。この時期になるといつも以上にそうおもう。

試合結果:https://www.yakult-swallows.co.jp/game/result/2021000857
※ヤクルト公式HPより

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