きっかけは一目惚れ、ではなかった。
なんか若いのが出てきたなってくらい。ちょっと成績を残したあとも「ふーん。やるじゃん」と気に留めていないような素振りをしていた。
幾多の選手がちょっと活躍したかと思えば消えていった。何年も続けてすごい数字を残すことができるのはほんの一握りしかいない。勝手に期待して勝手に裏切られる、そんな苦い経験を腐るほどしてきた。
子ども頃に持っていたはずの純粋な心はちょっとずつ汚れ、人を信じる気持ちはなくなり、なにもかもを誰も彼もを疑っていた。小さな頃から野球を見てきたぼくはかんたんには落ちない──いや落とさせないぞ。そう勝手に誓っていたような気もする。
そんな淀んでいたぼくの心へ君が侵食してきたのは、2015年日本シリーズでの3打席連続ホームランだった。
もちろんそれまでにも好成績を残している。その年だってトリプルスリーを達成していたわけだし、その前年には衝撃的なのし上がり方を見せた。もっといえばルーキーイヤーだった2011年のCSでスタメン出場した試合のことも記憶にある。
当時のぼくはくたびれていたどこにでもいるサラリーマン。野球の結果は次の日の新聞やニュースで耳にするくらい。球場に行くことなんてほとんどできなかった。情報を追うこともなかなかできなかった。転職1年目だったしほんと忙しかった。
そんななかで訪れた渋谷のビックカメラ。何を買いに行ったのかは覚えていない。ふと歩いていたテレビコーナーで映し出されていた中日対ヤクルトの一場面で君は打った。どんなあたりだったかは覚えていない。でもとにかく打った。アナウンサーが史上初ということをしきりに伝えていた。なにか凄いことをした、ということはわかった。でも、それだけだった。けれども記憶には残っている。
もしかしたらこれがぼくたちの出会いだったのかもしれない。
2011年のCSでの記憶、2014年の大ブレイク、2015年のトリプルスリー……どれもすごい。それでも信じていなかった。そして日本シリーズでの3連発でようやく認めることになる。ぼくはどれだけお高く止まっていたのだろう。今となっては自分のなかでの笑い話だ。
◇
君を認めた日本シリーズの翌年にあたる2016年から、ぼくは神宮球場での試合を全試合現地で観戦してきた。正確に言うと2015年のシーズン終盤からだから6年と少しになる。
振り返ってみるとそのほとんどの試合に君は出ている。セカンドベースにいるのがあたりまえの存在になっていた。最初は気にもとめてなかったけれども、撮っていた写真には必ず君がいる、そんな心境だ。いつも一緒にいる。
ぼくが球場で見始めた頃の君は、自分から投手に声をかけに行くことはほとんどなく、エラーした後はマウンドに行かないことすらあった。それが今は自分から声をかけに行き、後輩たちの気持ちを落ち着かせるようになった。人ってこんなにも変わるんだ、と感慨深く思ってハッとする。ずっと見てきたから気がついたんだ。
オリックスとの日本シリーズの第6戦。極寒の地・神戸での試合前。円陣の声出しをやっていたことを後から知った。球団公式のYouTubeで何度も何度も繰り返して見た。
結果的に最後の試合になったけれども、勝たなければ翌日も試合がある。そのなかで「このメンバーで野球ができたことに誇りを持ってる」と試合後のようなセリフに驚きを隠せなかった。「今日で終わらせよう」という心意気が十分すぎるほど、痛すぎるほど伝わってきた。
すべてが終わったあとにこの動画を見たにも関わらず泣いた。泣ける、ではなく泣いた。
この涙の意味は悲しさや嬉しさではなく、単純に好きの気持ち。あ、ぼくは落ちてるんだな、ほんとに好きなんだなと気がつくのには十分だった。あたりまえのようにぼくの日常に君がいるから気がついていなかっただけ。いつの日からかわからないけれども好きだった。
時間を掛けて熱を帯びた気持ちはそう簡単には冷めない、きっとそうだ。