こんなところ、あったんだ──。
目的の場所のすぐそばに素晴らしい場所があったのに、気が付かず素通りしてしまった経験は少なくない。あとからSNSで知って地団駄を踏むことがたくさんあった。なにか買い物をしたあと、別のお店でもっと安く手に入るという情報を知った(知ってしまった)感覚にとても近い。
そんな悔しさの極み、を共有するわけではなく、そのような状況になる一歩手前で踏みとどまったことを綴りたくなった。
沖縄からのフライトは19時過ぎだった。浦添での練習は午前中で打ち上げとなり、ランチは高津監督が報道陣に振る舞ったというお店に足を運んだ。うなぎの入った御膳に舌鼓を打ちオリオンの瓶ビールで喉を麗す。この日から沖縄はまん防が解け、アルコールも解禁されたのはラッキーだった。
それでも19時までは時間がある。けれどもレンタカーではなく公共の交通機関とタクシーで移動するため、那覇空港からあまり遠くには行きたくない。とはいえ国際通りやら那覇バスターミナルの周辺はちょっとおもしろくない。そしてお腹は空いていない。
わがままな感情しか出てこないなかで見つけたのが「瀬長島ウミカジテラス」だった。いろいろな情報を見ると那覇空港から車で15分ほどだという。バスもいくらかは出ているらしい。フォトジェニックな場所があり、そして温泉がある。温泉!?ここに決まった。
おもろまち駅から乗ったゆいレールに揺られながら魅力的な情報を見つけたぼくは、那覇バスターミナル付近の宿で荷物をピックアップ。ほどなくして那覇空港行きのゆいレールに乗った。那覇空港駅のひとつ手前になる赤嶺という駅から瀬長島ウミカジテラス行きのバスが出ているらしい。
初めて降りる赤嶺駅でバスを待ってもよかったが、あいにくバスは出発したばかり。時間があるとはいえ、30分ほど待ちぼうけするのはもったいなかった。ターミナルにいたタクシーに乗り込み、目的地を目指した。
運転手さんとの会話は弾んだ。かなり野球に詳しい。沖縄水産高の話から栽弘義監督の話になり、小禄高や豊見城高時代へと話題は移る。運転手さんのヒーローは安仁屋宗八であり、石嶺和彦だったという。オリックスが宮古島の前に糸満市でキャンプを張っていた頃の話では、当時の市長が室内練習場の建設を渋ったから出ていかれたことを嘆いていた。
まさか東京から来たよくわからない旅人とこんなマニアックな話をすることになるとは思わなかったのだろう。かなり上機嫌である。しまいにはメーターを止め瀬長島やその付近を案内してくれた。やわらかい風が吹くと漂う匂いは海藻で満ちている。住居がないという島なのに4面の野球場もあった。もちろんプロ仕様ではなく、草野球で使うような球場だがとても綺麗だった。土が白く芝は青い。
そして温泉のある瀬長島ホテルへたどりつく。宿泊客でなくても入れる龍神の湯は平日の昼ということもあり空いていた。露天からは那覇空港の滑走路が見え、ときには轟音も聞こえる。夜空はきっときれいなのだろう。もちろん温泉内の写真は撮れない。けれども旅の疲れを癒やすには十分すぎるほどの眺め、そして41度というちょっとぬるいくらいの温度が心地よかった。なんでも腰痛や肩こりに効くと言われている温度が41度らしい。温泉内に書いてあったから本当なのだろう。
温泉からあがってもまだ時間はある。目の前にあるウミカジテラス内でめぼしいお店に入り、パソコンを開いた、けれども仕事はしなかった。なんだかもったいない。飛行機の音、テーブルの紙ナプキンが飛んでいくような風、少しの日差しを感じながらアメリカ風のハンバーガーを食べなにかを考えていた。たいしたことなじゃない。楽しかったな、とか、次はどこに行こうかな、とかそんなこと。
那覇空港からわずか15分ほどの場所にあった癒やしの地。野球だけキャンプだけを考えていたら目には止まらない。そんな場所をたまたま見つけることができたぼくは、ほんとついていた。疲れが癒やされ、ぼーっとするちょっとしたゆとりを持つこともできたなんて幸せだ。
来てよかった。