タイムマシン

子どもの頃、横浜近郊に住んでいた祖父母の家に行くことが、夏の楽しみだった。祖父はぼくのことをとても可愛がってくれ、ふたりでいろいろなところへ出かけたものだ。もう30年以上も前のことだが、山登りや中華街散策、私鉄のスタンプラリー…と思い出が脳内にある冒険の書に記録されている。

そのなかのひとつに野球がある。ある土曜日に家族全員で中華街の有名なお店で食事をした帰り道のこと。「明日は野球を見に行くか。見たことないだろう」と小学校3年生のぼくに提案したのである。

当時のぼくにとって、野球場はテレビの中の夢舞台。インターネットもなかった時代だ。そんなかんたんに行けるものだとは思ってもいなかった。

迎えた翌日。ぼくは座席がオレンジ色だった横浜スタジアムのライトスタンド上段から試合をぼんやりと眺めていた。試合内容の記憶はどこにもない。初めての現地野球観戦の記憶なんてそんなものだ。

それでも憶えていることがふたつある。

ひとつは、「ここまでホームランを飛ばすのは、呂明賜くらいだぞ」と祖父が言っていたこと。その試合でホームランを打つことはなかったけれども、呂明賜という名前はしっかりと頭に刻み込まれた。

もうひとつが、祖母がつくってくれたおにぎりを食べたことだ。とはいえ、味の記憶はない。おそらく梅干しや鮭だったはずだが定かではない。思い出補正もなく普通の味だった。

でも、おにぎりを食べたことが忘れられない。帰り際に祖父が「昨日の中華より美味しいな」とぼくに語りかけたからだ。もちろん中華料理のほうが美味しかったけれども、なんだか申し訳ない気がして「うん」と頷いた。小さな嘘。それがあったから憶えているわけだ。

その日から30年以上が経った。まさか野球を扱う職業に就き、ごはんにまつわるエピソードを書くことになるなんて思いもしなかった。野球とごはんはぼくの原点。そして祖父母を思い出すタイムマシンでもある。

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